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多数派は言わざるですので

引用:窒息死亡事故が多発する餅はなぜ規制されないのか?

危ないと言われれば、コストがかかり多少利便性が悪くなっても、危なくないように対応するのが日本の行政だ。彼らは国民の声を聞いて仕事をしているのだ(と少なくとも彼らは主張するだろう)。

責任の一端は彼らにそういう仕事をさせてきた我々社会の側にもある。無視できるほどのリスクに目くじらを立て、責任者は誰だ?と犯人探しをし、多額の損害賠償と再発防止策を求める。そのたびに新たな規制が追加され、少しずつ社会は住みにくくなる。もちろんそうした規制の中には必要なものも多い。しかし不要なものも多いのもまた事実だ。

この負の連鎖をなんとか断ち切り、より全体的な視点でバランスのとれた対応をすることは出来ないのか、それこそ政治主導の出番なのだろうけれど……ねえ?


恐らく、無視できるほどのリスクに関しては、犯人探しをしたり多額の損害賠償を求めたり再発防止策を求めている方々は少数なはずで、それらを不要と思っている人は多数なはずだと思うのですが、そもそも不要と思っている人は目くじらを立てない、つまり、意見を出さないですから。

何も言わない人と何か言ってくる人のどちらに対応するかといえば、通常、何か言ってくる人に対応せざるを得ないでしょうし。「危ないと*言われれば*」もそうなのでしょう。

そういう多数派が積極的に意見を出さないという意味で「責任の一端は彼らにそういう仕事をさせてきた我々社会の側にもある」というのは的を射ているとは思いますけど、例えば、モンペにその他の親御さんが「おまえの教育は間違っている」と思っても面と向かって主張しないのと同じで、ある意味三猿的なものが今の日本の文化的なところに根付いてますから。

結局のところ、より全体的な視点でバランスのとれた対応をするためには、そういう物言わぬ少数派が積極的に意見を言う社会を作るか、行政が積極的に意見を取りに行くかしかないんでしょうけど、それをどう実現するかが難しいところですかね。
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