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星ぼっくり茶寮

京都芸術センターで行われていた日詰明男さんの展覧会『星ぼっくり茶寮』を観に行ってきました。

最終日となる30日は、日詰さんの音楽分野での作品の1つと思われる『フィボナッチ・ケチャック』の生演奏が行われるということで、それが行われるであろう18時頃にタイミングを合わせて行ってみました。ちなみに、『フィボナッチ・ケチャック』とは、無理数の1つである黄金比の再帰的構造をポリリズム音楽として聴覚化したものだそうです。研究されている実数の音楽の1つですかね。

演奏は、入り口付近の開きスペースを利用してのもので、特にこれからやります的な挨拶があったわけでもないので、いつの間にか始まっていたといった感じです。先日、某所でお会いしたときに、パソコンでの『フィボナッチ・ケチャック』の演奏を聴かせて頂きましたが、そのときに比べて、どことなく耳障り感が最初ありました。たぶん、生演奏ゆえの乱れから来るものなのかもしれません。まあ、次第にその感じは薄れていきましたけど。まあ、お酒が振舞われたりもしてましたので、演奏会的な堅苦しいものではなく、純粋にポリイズムを楽しむイベントといった感じでした。ちなみに、演奏風景はこんな感じでした。

P8300115_320.jpg


そして、展覧会そのものも勿論観てきました。もうちょっと、作品に説明が欲しいかなぁってところはありました。私の場合、事前に情報がありましたので、それなりに「ほう」と思って眺められるところはありましたけど、パッと見、単純な周期構造を持ったモニュメントにしか見えないところがありますし。まあ、そう見えるかそう見えないかは観察力の問題かもしれませんけど。一応、現場では『音楽の建築』という日詰さんの論文集が売られており、それを読んでからみるとかなり見方が変わってくるのでしょうけど、現場で読むにはあまりにもボリュームがありすぎな感じです。

とはいうものの、ある程度、バックグランドを理解してから観れば、なかなかおもしろいアプローチだとは思えた。従来の建築が3次元の直行座標系で考えているグリッドプランニングであることに限界を感じ、それを6次元の座標系で考えるあたりはなかなか興味深かったです。勿論、我々の住んでいるのは3次元なので、ペンローズ・タイルのような投影された空間を考えるわけですが、その考え方が齎す『準周期パターン』は、飽きのこない造形物を生むのに役立っている気がする。『音楽の建築』の準周期都市・建築空間の説明文中に記載されていたことだが、日詰さんの考えの基づく、フラクタル状の単純な周期的繰り返しではないが、かといってデタラメでもない構造について、以下のように書かれていたのは印象的でした。

日詰明男 論文集 『音楽の建築』より引用

人間にとって碁盤の目状の都市よりも、こちらの方がはるかに感性に馴染むはずだ。


なんといいますか、京都に来たときに違和感はこれだったのかもと(笑)。碁盤目状って、事前に地図で場所を調べるときには分かりやすいんですけど、実際に行くと、曲がりどころを見失うことが多いんですよね。多少、そのあたりで余分に神経が磨り減っている感があります。やはり、ミクロにあそこに○○があるところで曲がるという感覚より、マクロに形状を把握して方向を転換する方が、人間の感性にはあっていると思う。

後、視覚的にもフラクタル的なものって、飽きがこないのは、個人的には、ゲシュタルト崩壊を起こし難いというか起こしても崩壊の先に更に見えるものがある点にあるのではないかと思っています。よく見てみると単純な構造だったということはよくあることですが、それを視覚にうったえるとき、それを見つけるまでと見つけたときの感動はそれなりのものがありますが、そこから繋がらない。そういう意味では、無理数に依存した準周期性に基づくパターンなどは、視覚が見出した単純構造の先に次の複雑さがまた繋がってくるあたりが楽しめる。そういう意味で、日詰さんの作品はじっくり眺めることで味の出る作品なのではないかと思う。
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